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現役である事の考察:弾正橋(八幡橋)と新田橋の部

今まで散策をしていると昔使われてきて今それが記念として保存されているものに出くわします。由緒ある建物、蒸気機関車、歴史の最初を飾ったもの等。本来の働きを終えていわば第二の人生を送っているものがモニュメントとて飾ってあったりします。それらを見るともう本来の働きはしないが過去を偲んでおかれている。元々はある働きをする事を目的として作られてきたものがその働きをせずに時間を過ごしている。。何か考えさせられるものがあります。

今回は橋脚の話。今までの散策で出会って初めて分かった事なのですが、国産で1番古い鉄橋と木場の赤ひげ先生と庶民によってかけられた小さな橋の物語。少し長くなりますがここで述べてみましょう。これらの橋は富岡八幡の近くに設置されています。

弾正橋は、1878年東京府の依頼により工部省赤羽製作所が製作した国産第1号の鉄橋で、長さ15.2m、幅3m(有効幅員2m)の単径間アーチ型式の鉄橋でウィップル形(ボウストリング形)の鉄橋とも呼ばれます。アーチ部分を鋳鉄製とし引張材は錬鉄製の鋳鉄錬鉄混成の橋で、また独特な構造手法で施工してあります。 この橋は鋳鉄橋から錬鉄橋への過渡期の鉄橋として貴重なものです。1977年には近代橋梁技術史上において価値の高い橋であることから、国の重要文化財に指定されました。

 この弾正橋は、もとは京橋楓川(東京都中央区)にかけられていましたが、大正2年の東京市区改正事業によって新しい弾正橋がかけられたので元弾正橋と改 称されました。大正12年関東大震災後の帝都復興計画により、元弾正橋は廃橋となり、東京市は1929年5月、現在地に移して保存することになり ました。ここは、富岡八幡宮の東隣りであるので八幡橋となりました。もとは、下に掘がありましたが、その後埋め立てられ遊歩道となり、八幡橋も人道橋とし て活用されています。』

下記がその橋の今の姿です。移設されましたが未だに現役の橋として使われています。
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向かい川に富岡八幡が見えます。ここを渡っていくのも楽しいかも。
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反対側から見た八幡橋。昔懐かしい板塀の家を横に見ながら。。
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1989年10月には日本国内で初めて米国土木学会より「土木学会栄誉賞」が贈られました。
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八幡橋近くによく見ないと見落とすかもしれない橋脚らしきものが置かれていました。真っ黒に塗装された橋には『新田橋』と書かれていました。当然もう使われる事はありません。朽ちていました。
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そこのは小さな立て看板が立てられており、下の写真のような説明がありました。
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八幡橋ほど古くはありませんが、庶民が頑張って架けた橋です。昭和二十九年に作られた林芙美子原作、成瀬巳喜男監督の『稲妻』で高峰秀子がこの橋を渡っている場面があるそうです。岐阜出身の木場の赤ひげ先生と呼ばれ人望が高かった新田清三郎さんが妻の慰霊を願って庶民と架けた橋。初代の橋を解体するのは悔やまれるのでここに大切にしかしひっそりと設置されたのでしょうか。ただ現役ではなくなったので八幡橋と比較すると寂しそうな感じがしました。

下の写真はこの初代新田橋の意志を継いでかけられた二代目新田橋です。こちらは今日も現役で頑張っています。
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現役と退役した橋たち。それぞれの生まれてきた歴史を背負っているのですね。公的機関によって移設され未だに活用されている橋。昔をしのんで庶民によって保存された橋。しっかりと解体もされずに残っているという事も人々の心意気と言うのでしょうかね。

初代新田橋と八幡橋は富岡八幡近く。二代目新田橋は地下鉄東西線木場駅近くです。
地図-1



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