キッテルの熱物理学をよんでいたら、宇宙黒体残留輻射についてのカラム(日本語版80ページ)にこの輻射がビッグバンモデルを実証する重要な証拠であると書かれていました。
ビッグバンは結構一般的にも話題になる事柄ですが、その学説がどのような経緯で提唱され、宇宙の現在の温度(キッテルの教科書では2.9K)がなぜその説を裏付けるものなのかもっと知りたくなり調べてみました。
サイモン・シンの『宇宙創成』(新潮文庫)を道標にして少し述べていきたいと思います。サイモン・シンは科学的な内容の解説も秀逸ですが、それに携わった人々がいかに努力して理論を作り上げ、検証されていったのかを掘り下げて描写しておりその姿勢にすごく共感を覚えます。

サイモン・シンとその著書『宇宙創成』文庫本
サイモン・シンは『宇宙創成』を古代の冒険から詠み始めていますが、ここではその途中の黒体複写の話からスタートします。そもそも黒体輻射とは何かという事ですが発端はプロイセンのビスマルク宰相時代の鉄の精製作業にさかのぼります。溶鉱炉の温度管理はいい鉄鋼を作るのに欠かせない技術ですが当時はそれを熟練された職人の感にゆだねていました。温度が高くなると溶鉱炉から発生してくる光異が赤色から緑や青に変わり人間の目には白く見えるのですが、その変化をなんとか工学的に解明できないかという研究を重ねたのです。今まで職人の勘に頼っていたものをもっと普遍的に効率よく行おうという意図がこの背景にありました。溶鉱炉から出てくる光の強度のスペクトラム(波長あるいは振動数範囲の強度分布)を測定し職人がこれでよしというスペクトラムを記録して誰でもそのスペクトラムを見る事で温度を管理することでした。下図を参照してください。

このおかげでドイツの鉄鋼生産は飛躍的に伸びたそうです。しかしながら経験的にわかっても物理理論的になぜそうなるかはまだ知られていない状況でした。その当時はMaxwellの電磁気学が成立していた時で電磁波の理論でこのスペクトラムを算出しようとしましたがうまく実験結果と合いません。とくに波長の短い所で実験と理論が合わないのです。またウイーンがボルツマンの統計熱力学を基本として導入した式を提案しました。周波数の高い領域ではデー後よく一致したのですが、マクスウエルの電磁気学を全く無視したものであったのであまり評判が芳しくなかったと伝わっています(朝永振一郎著:量子力学I)。その混沌の中からマックス・プランク(量子の父と呼ばれている。1858-1947)が考えだしたのは下記の式でした。労使旗の折衷案とも呼べるものでしたが、この式の解釈が後の量子力学発展お礎になるものでした。すなわちこの式に出てくるh:プランク定数といってその数値は h=6.626068… x 10^(-34)Js (ジュール秒)になります。我々の住んでいる世界の数字からはとても小さな数字ですがこれが後々電子や光子の振る舞いを説明するキーファクターになります。
レイリージーンズの式(マクスウエルの電磁気学を根拠とする。振動数の低い領域で実験結果と合う。)

ウイーンの式(ボルツマンの統計力学を一応根拠とする。振動数の高いところで実験結果と合う)

マックス・プランクが提唱した式(実験結果とまさに合致する式)

下図のようにプランクの式が実験結果と最もよく合致しています。

マックスプランク
さて量子というエネルギーの固まりは上記のプランクの式であらわされ、温度が相当低い場合でもその量子はいつまでも存在する事になります。この事柄は後日宇宙の膨張理論に大きく関わってきます。
さて、宇宙が膨張している考えは1922年にソ連の宇宙物理学者アレクサンドル・フリードマン(一般相対性理論の場の方程式に従う膨張宇宙のモデルをフリードマン方程式の解として提唱。1888-1925)や1927-1933年のベルギー出身のジョルジュ・ルメートル(宇宙物理学者にしてカトリック司祭の肩書きを持つ。1894-1966)の理論的予測とエドウイン・ハッブル(アメリカ合衆国の天文学者1889-1953)の1929年の天体観測によるイベントが最初とされています。とくにハッブルの観測は精密で宇宙が膨張していることを如実に物語るものでした。ハッブルの法則という形で知られています。
一般相対性理論の重力方程式(宇宙項を挿入したもの)

フリードマンはこの式を展開して次のようなフリードマン方程式を提唱しました。

フリードマンはアインシュタインの重力方程式の宇宙項は残したものの、安定的なバランスは大変微妙なもので、この方程式は収縮や膨張がおこる可能性が大きいというものでした。
ハッブルの法則


フリードマン、ルメートル、ハッブル
一般相対性理論を1915年に世に出した重力の大御所アインシュタインは一般相対性理論に出てくる重力方程式に万有斥力をいれて静的定常な宇宙を作る考えを持っていましたが、ハッブルとその仲間に招待され天体望遠鏡などを見て、かつハッブルのデータを理解したところ、万有斥力の話は間違っているなと思い直したようです。アインシュタインは有名な『最大の過ち』と後悔したようです。しかしこの宇宙項(宇宙定数)は近年、フリードマンの式の中でダークエネルギーの存在を示唆しているものとして注目をおかれているようです。
ハッブルの観測の結果現象として宇宙が膨張している事がどうも事実らしいという事になって宇宙の膨張説が有望になってきましたが、まだ静的な宇宙を信じる科学者も沢山いました。部分的にはハッブルの膨張観測のデータを静的な宇宙観で説明する理論等も考案され、膨張する宇宙が必ずしみ必然的に支持されていったという事でもなかったようです。膨張論そのものにもまだ不備があり、最も難しい問題は膨張するからにはその出発点がある。それ以前は何も無かったのか?と通常の常識では考えられない状態をどのように解釈するのか?また当時、膨張の出発点から現代までの時間計算が惑星の寿命より短い等、まだまだ山あり谷ありでした。
そのような舞台道具が揃った時に登場したのが2人の主役、ジョージガモフ(ソ連からアメリカに亡命した物理学者、啓蒙書不思議の国のアトキンスの著書でも有名、1904-1968)と科学界でなんとかやっていこうと奮闘している学生でこの仕事が実に博士論文になったラルフ・アルファー(16才の神童としてマサチューセッツ工科大学から奨学金を授与されたがユダヤ人である事が判明して取り消され衝撃を受けた。1921-2007)。この二人によって膨張論の謎が解かれ始めることになります。
ガモフ(左)とアルファー(右)
膨張論に立ちはだかる難問の一つ。宇宙の元素の存在比。膨張する宇宙でなぜこのような存在比になったのか?水素とヘリウムの合計比で全元素の99.9%以上もあります。とくにヘリウムより重い元素の生成過程が説明困難な壁に直面していました。(下図参照) 答えらしきものは大きな宇宙を取り扱う物理ではなく、極小の世界を司る原子物理学の中にあるようでした。ラザフォードが発見した原子核の存在。この原子核の分裂が発生する大きなエネルギー(ここでもアインシュタインの特殊相対性理論の静止質量とエネルギーを結びつける有名な式e=mc2が根拠)、さらに核融合のプロセスの研究が水素からヘリウムという生成過程を生む事等。その条件が星の成長に関わっている事等。水素からヘリウムへの遷移は核融合のメカニズムで説明ができました。

元素の存在比 (左)対数グラフ、(右)リニアグラフ。
右のグラフでは水素とヘリウムがほとんどを占めている事がよくわかります。
かれらは中性子の不安定さに注目し3年がかりで計算を行い、水素原子10個でヘリウム原子1個が生成できる等、厳密な物理で説明できる事が分かってきました。静的な宇宙論ではヘリウムの生成量がここで言うほどの量ができなかったので、膨張論の生成モデルは大きな説得性がある事になりました。しかしそれ以上の重い元素はこの理屈ではうまく生成されません。ただヘリウムまでの話で99.9%の存在が説明できるので重い粒子の件は少し棚上げにしてガモフたちはこの成果を1948年に発表しました。この論文がガモフのユーモアが出ているといわれるアルファー、ベータ、ガモフを著者とする論文(αβγと呼ぶ)です。
原子の融合メカニズム、とその限界
水素:陽子が1個 = 1核子
重水素:陽子1個、中性子1個 = 2核子
三重水素:陽子1個 中性子2個 = 3核子
ヘリウム: 陽子2個 中性子2個 = 4核子
しかし5核子は安定せず生成しないという問題があり、これ以降重い核子ができない!!
話は次の決め手となる宇宙背景輻射のテーマに移っていきます。その後アルファーはロバート・ハーマン(1914-1997)と二人で宇宙の始まりの状態はどのような状態であったかを考えました。
1) 核融合を起こす高温であったものが膨張によって冷えていくと最初はあまりにも高温のために原子核と電子がバラバラの状態であった(プラズマ状態)であった。
2) 膨張で温度が下がった事で原子核と電子の結合が始まっただろう。水素とヘリウムでは3000Kぐらいで結合が始まる。

サハの電離公式と呼ばれるものです。元素の電離度をあらわしたもので、それは温度やイオン化エネルギーに関係するという式です。水素が電離状態が3000Kぐらいから発生する事から逆に3000K以下になると中性原子になり、今までプラズマに閉じ込められていた光子が解放される事が分かるそうです。
3) プラズマの状態では電子が光と反応して光がプラズマの中に閉じ込められていたものが、原子の生成によって電子が原子核に結合されて光が自由になったと推察される。---これを宇宙の晴れ上がりという。それは宇宙が作られてから30万年後になると推察しました。このときの光の波長は3000Kから千分の一ミリメートル=1ミクロン。
4) そこで解き放たれた光はその後原子になった(電気的に中性)ので光子は拘束される事無く宇宙空間をさまようであろう。そして今も存在している。
先に出たαβγ論文は存在比に既知のデータを念頭に置きその生成を論じたのではないかという反論が会りました。今回の論文ではいまも宇宙創成から30万年経ったときに解き放された光が宇宙に存在しているという仮説を提唱しているわけで、もしこれが見つかればこの膨張理論の正当性が実証できるのです。論文としてはこちらの方が価値が高いといえます。
残念ながらこの予言はしばらくの間眠ってしまうことになります。誰もそのような残留輻射を観測する人が出てこなく、いまだにヘリウム以上の重い元素の生成を説明できない、ハッブルの赤色遷移速度から算出される宇宙の寿命が星よりも短いという三重苦になってしまったからです。ガモフ、アルファー、ハーマンはそれぞれ別の道に進み、残留輻射の話はしばし忘れられるようになりました。1964年に起こされるまで。
膨張論の問題点のまとめ:
問題1:ハッブルの観測では宇宙の年齢は20億年、地質学の研究で地球の岩石の年齢は34億年前に形成されたものがある。→ 定常宇宙ではこのようなことは起こらない。
問題2:膨張説ではヘリウムより重い元素を生成する事が難しい。→ 定常宇宙ではあまり矛盾無く現在の元素存在比をうけいれられる。
問題3:宇宙背景輻射があるかどうかは判明していない。→ 見つかっていないから根拠にならない。
静的宇宙と膨張宇宙の論争:
ふたたび静的宇宙論が台頭してきました。その中心人物がフレッド・ホイル(SF作家としても知られている。1915-2001)です。興味深い彼の役割はイギリスのBBC放送で皮肉にも「やつらは宇宙が大きな爆発(big bang)で始まったと言っている」と膨張理論を批判した際に生まれたビッグバンという言葉(少し蔑みが混じった言葉のようですね)。この発言を聞いたガモフが面白がって使ったことから広く使われるようになった。語呂合わせがよかったのかもしれません。いま誰もが知っているビッグバンという呼び方はその強烈な批判者が作り出した言葉なのです。
その後の展開:しばらくして...
ビッグバンの問題点は徐々に解明されていきました。
1) 宇宙の年齢が星の年齢よりも短い:星の明るさによって距離を測っていたが、一部に電離水素領域(H-II領域)というものがあって星より数段明るい、従って星よりも実際は遠い所にいる。すなわち宇宙の年齢はもっと大きい。最終的には100から200億年程度とされた。これで星の年齢との矛盾がなくなった。
2) 元素存在度問題の解はなんと批判者の最右翼であった定常宇宙の守護神フレッド・ホイルによってもたらされました。敵に塩を送ったということではなくて、彼の定常宇宙論もこの問題を抱えていたからでした。その答えは星の一生に隠されていました。水素の核融合が終わると星の温度が下がり、星の重力で中心にむかって収縮する。その結果中心が高温になり更に重い元素の核融合が始まる、それも一時的で燃焼が終わると更に収縮が再開され、温度が上がる、次の重い元素が融合あい……それが逐次つづいて重い元素が出来上がる。星が爆発してその一生が終わると重い元素は放出され新しい星の核になりまた融合が始まる。そしていろいろな元素が生成される。しかし一つだけ、ただ彼の考え方でも問題はこの過程理論では炭素が作れない!!ということでした。おおきなデッドエンドに突き当たったのです。
しかしホイルはへこたれず次のように考えました。現実に炭素は私の体を作っているから絶対に存在する。この前提でホイルは考え抜き炭素生成の可能性のある融合状態を持った炭素の励起状態を予測した。サバティカルでカルフォルニア工科大学を訪問したとき、実験物理学者ウイリアム・ファウラー(1991-1995)にそのような励起状態(標準炭素の7.65MeVだけエネルギーが高い状態のもの)の炭素を探してくれと懇願しました。ファウラーははじめ冗談かと取り合わなかったのですが、ホイルの熱意に負けて探し出すと本当にそれが見つかったのです。まったく頭の中で考えたことが実際に存在したという前代未聞の発見があったのです。ホイルもこのビッグバン劇場では単なる敵役ではなくて真の主役の一人だったのですね。これはビッグバン理論に皮肉にもより有利に働きました。ホイルという人の役割はなかなか面白いですね。そしてこの元素存在比問題も解決しました。その後ファウラーはこの理論を更に発展させ全ての元素ウランまで作れる事を示し後にノーベル賞を受賞しています。炭素の生成はB2FH論文と呼ばれるものに収録されてるようですが、共著者であったホイルはノーベル賞を逃しました。

フレッドホイル(左)とファウラー(右)
炭素の生成(核融合)


この反応は約1億度の温度を持ったエネルギーが必要で宇宙空間ではなくて恒星の中でヘリウムが存在する状況で発生するとの事。3個のアルファー粒子が反応するので、トリプルアルファー反応と呼ばれています。
3) 宇宙背景輻射の発見には少し時間がかかりました。電波を測定して宇宙の状況を知るという事がいつ認識されたのか?1931年、電波を取り扱うAT&Tのベル研の無線技術者カール・ジャンスキー(1905-1950)が手製のアンテナを使って妨害電波を観測する事に専念している最中に偶然天の川から飛んでくる電波雑音に出くわしたのです。AT&Tはそのころ大西洋通信を行っておりその雑音の研究に余念がなかったのでした。その結果はその時点ではとくに注目をされなかったのですが23時間56分(地球の公転を考慮した天球に対して地球外回転する時間)の周期で観測されてその信号が初めて天空から発生したものと分かった訳です。これは人類が初めて宇宙から到達した電波を観測した出来事でした。この後電波天文学という分野が開拓されていきました。

ジャンスキーのアンテナ(レプリカ) カールジャンスキー
その系譜をたどって1964年、二人の学者、ペンジアス(1933-)とウイルソン(1936-)によって注意深く宇宙に存在していた背景輻射が観測されたのでした。これは宇宙から到来する微小電波をそれよりも大きなレベルで周りにある人工信号と区別して発見するということで雑音の処理などに相当骨の折れる仕事をしたそうです。ほとんど他の人なら諦めるところを辛抱強く観測した結果、波長は約1ミリの微小信号を見つけることができたのです。宇宙の晴れ上がりの結果3000Kで放出された光の波長が1000倍になって発見されましたその分膨張で宇宙が冷えたとも考えられます。アルファー達が予測したのが1948年。そして実際にその存在が発見されたのが、1964年でした。ようやくこの発見でビッグバン説が正当であると認められはじめたのです。

ペンジアスとウイルソン
4) もう一つ。宇宙のでき方についての説明。望遠鏡で観測すると分かるように宇宙には銀河系等の星団がある程度疎密に分布されているように見えますが、ビッグバン論ではビッグバンの後どのような構造を作ってきたかを説明できなければなりません。静的あるいは定常宇宙ではもともとそのようなものであると言ってしまいます。
このゆらぎを探るため天文学者はバルーンに輻射計をつけて宇宙から降り注ぐ輻射光(電波)の密度分布を測定して宇宙の成り立ちを捕まえようとしました。飛行機にも乗せて観測しましたが、そのようなゆらぎを測定する事ができませんでした。彼らはもっと感度のいい状況でそのゆらぎを測らなければならないと考えてスペースシャトルに輻射系を乗せる事にしました。しかし例のチャレンジャー号の事故でその計画も頓挫してしまい、最終的に破棄寸前の旧式のデルタロケットに輻射系を搭載させることができました。これも担当した人たちが相当頑張って話をまとめたそうです。人工衛星が軌道に乗ってから観測を始め慎重に全天空をカバーして分析するまで数年の時間をつかってようやく背景輻射のゆらぎを測定する事ができました。これによってビッグバン説は天文学者の間で認知されたのでした。最新の衛星はWMAPと呼ばれていて、7年間のデータが開示されています。上記の宇宙の年齢等はこの衛星の観測結果を基にして算出されたものです。またこの稿では述べていない、DARK MATTERやDARK ENERGYなどの存在も観測結果と最新理論から分かってきつつあります。
現在NASAが行った最新の衛星による観測では輻射から分かる背景輻射温度は2.7Kで宇宙の年齢は137億年になっています。
またゆらぎについてもはっきりと観測されており、30万年前から今までどのような変遷がなされたのかコンピュータシミュレーション等で現実によく合致する結果を得られています。ここでNASAがまとめたデータ類を示します。(NASAのデータベース)
宇宙背景輻射(Cosmic Background Emission)

プランクの式を思い出してください。光(この場合は電磁波)の強度スペクトラムから温度Tがわかります。
CBEの全天観測データ、揺らぎ (NASA WMAP 7Years summaryから)

ビッグバン後の宇宙膨張のイメージ図

上記のデータを収集したNASAの衛星WMAP(Wilkinson Microwave Anisotropy Probe)

この物語で驚くべき事はプランクの輻射論が考えだされたときから現在までたかだか一世紀ぐらいの時間で宇宙の成り立ちの全容をほぼ理解する事になってきたのですが、その対象が137億年にも及ぶ年齢を持ったものという事は大きな驚きです。まして時間にビッグバンという始点がある等身寺かな常識では考えられない構造を持ったものであると!!この事実を知るために人々はおおきな望みをもちそれは時空を超えて飛躍していったということでしょうか。夢と、工夫と、執念などの苦労の結晶であると思いました。
最後にこの物語で活躍したフリードマン、ルメートル、ハッブル、ガモフ、アルファー、ハーマン、ホイルはノーベル賞をもらっていません。ホイルの案を実験で確認したファウラーやこれも実験で背景輻射を発見したペンジアスとウイルソンには物理学賞がおくられました。この辺の評価の違いは何なのか?またNASAでは無名のたくさんの人が地道にデータを解析して偉大な結果を出していることを報告しておきましょう。その成果は過去の栄光にも劣らない素晴らしいものです。
今日現在も新しい宇宙論と新発見が続いています。いまのところビッグバン宇宙論は支持をされていますが、こののちそれでは説明できない事柄等が発見される可能性はゼロではないと考えられます。また人類の限りの無い探訪が情熱を持った人々によって行われていくのでしょう。
ビッグバンは結構一般的にも話題になる事柄ですが、その学説がどのような経緯で提唱され、宇宙の現在の温度(キッテルの教科書では2.9K)がなぜその説を裏付けるものなのかもっと知りたくなり調べてみました。
サイモン・シンの『宇宙創成』(新潮文庫)を道標にして少し述べていきたいと思います。サイモン・シンは科学的な内容の解説も秀逸ですが、それに携わった人々がいかに努力して理論を作り上げ、検証されていったのかを掘り下げて描写しておりその姿勢にすごく共感を覚えます。


サイモン・シンとその著書『宇宙創成』文庫本
サイモン・シンは『宇宙創成』を古代の冒険から詠み始めていますが、ここではその途中の黒体複写の話からスタートします。そもそも黒体輻射とは何かという事ですが発端はプロイセンのビスマルク宰相時代の鉄の精製作業にさかのぼります。溶鉱炉の温度管理はいい鉄鋼を作るのに欠かせない技術ですが当時はそれを熟練された職人の感にゆだねていました。温度が高くなると溶鉱炉から発生してくる光異が赤色から緑や青に変わり人間の目には白く見えるのですが、その変化をなんとか工学的に解明できないかという研究を重ねたのです。今まで職人の勘に頼っていたものをもっと普遍的に効率よく行おうという意図がこの背景にありました。溶鉱炉から出てくる光の強度のスペクトラム(波長あるいは振動数範囲の強度分布)を測定し職人がこれでよしというスペクトラムを記録して誰でもそのスペクトラムを見る事で温度を管理することでした。下図を参照してください。

このおかげでドイツの鉄鋼生産は飛躍的に伸びたそうです。しかしながら経験的にわかっても物理理論的になぜそうなるかはまだ知られていない状況でした。その当時はMaxwellの電磁気学が成立していた時で電磁波の理論でこのスペクトラムを算出しようとしましたがうまく実験結果と合いません。とくに波長の短い所で実験と理論が合わないのです。またウイーンがボルツマンの統計熱力学を基本として導入した式を提案しました。周波数の高い領域ではデー後よく一致したのですが、マクスウエルの電磁気学を全く無視したものであったのであまり評判が芳しくなかったと伝わっています(朝永振一郎著:量子力学I)。その混沌の中からマックス・プランク(量子の父と呼ばれている。1858-1947)が考えだしたのは下記の式でした。労使旗の折衷案とも呼べるものでしたが、この式の解釈が後の量子力学発展お礎になるものでした。すなわちこの式に出てくるh:プランク定数といってその数値は h=6.626068… x 10^(-34)Js (ジュール秒)になります。我々の住んでいる世界の数字からはとても小さな数字ですがこれが後々電子や光子の振る舞いを説明するキーファクターになります。
レイリージーンズの式(マクスウエルの電磁気学を根拠とする。振動数の低い領域で実験結果と合う。)

ウイーンの式(ボルツマンの統計力学を一応根拠とする。振動数の高いところで実験結果と合う)

マックス・プランクが提唱した式(実験結果とまさに合致する式)

下図のようにプランクの式が実験結果と最もよく合致しています。


マックスプランク
さて量子というエネルギーの固まりは上記のプランクの式であらわされ、温度が相当低い場合でもその量子はいつまでも存在する事になります。この事柄は後日宇宙の膨張理論に大きく関わってきます。
さて、宇宙が膨張している考えは1922年にソ連の宇宙物理学者アレクサンドル・フリードマン(一般相対性理論の場の方程式に従う膨張宇宙のモデルをフリードマン方程式の解として提唱。1888-1925)や1927-1933年のベルギー出身のジョルジュ・ルメートル(宇宙物理学者にしてカトリック司祭の肩書きを持つ。1894-1966)の理論的予測とエドウイン・ハッブル(アメリカ合衆国の天文学者1889-1953)の1929年の天体観測によるイベントが最初とされています。とくにハッブルの観測は精密で宇宙が膨張していることを如実に物語るものでした。ハッブルの法則という形で知られています。
一般相対性理論の重力方程式(宇宙項を挿入したもの)

フリードマンはこの式を展開して次のようなフリードマン方程式を提唱しました。

フリードマンはアインシュタインの重力方程式の宇宙項は残したものの、安定的なバランスは大変微妙なもので、この方程式は収縮や膨張がおこる可能性が大きいというものでした。
ハッブルの法則




フリードマン、ルメートル、ハッブル
一般相対性理論を1915年に世に出した重力の大御所アインシュタインは一般相対性理論に出てくる重力方程式に万有斥力をいれて静的定常な宇宙を作る考えを持っていましたが、ハッブルとその仲間に招待され天体望遠鏡などを見て、かつハッブルのデータを理解したところ、万有斥力の話は間違っているなと思い直したようです。アインシュタインは有名な『最大の過ち』と後悔したようです。しかしこの宇宙項(宇宙定数)は近年、フリードマンの式の中でダークエネルギーの存在を示唆しているものとして注目をおかれているようです。
ハッブルの観測の結果現象として宇宙が膨張している事がどうも事実らしいという事になって宇宙の膨張説が有望になってきましたが、まだ静的な宇宙を信じる科学者も沢山いました。部分的にはハッブルの膨張観測のデータを静的な宇宙観で説明する理論等も考案され、膨張する宇宙が必ずしみ必然的に支持されていったという事でもなかったようです。膨張論そのものにもまだ不備があり、最も難しい問題は膨張するからにはその出発点がある。それ以前は何も無かったのか?と通常の常識では考えられない状態をどのように解釈するのか?また当時、膨張の出発点から現代までの時間計算が惑星の寿命より短い等、まだまだ山あり谷ありでした。
そのような舞台道具が揃った時に登場したのが2人の主役、ジョージガモフ(ソ連からアメリカに亡命した物理学者、啓蒙書不思議の国のアトキンスの著書でも有名、1904-1968)と科学界でなんとかやっていこうと奮闘している学生でこの仕事が実に博士論文になったラルフ・アルファー(16才の神童としてマサチューセッツ工科大学から奨学金を授与されたがユダヤ人である事が判明して取り消され衝撃を受けた。1921-2007)。この二人によって膨張論の謎が解かれ始めることになります。


ガモフ(左)とアルファー(右)
膨張論に立ちはだかる難問の一つ。宇宙の元素の存在比。膨張する宇宙でなぜこのような存在比になったのか?水素とヘリウムの合計比で全元素の99.9%以上もあります。とくにヘリウムより重い元素の生成過程が説明困難な壁に直面していました。(下図参照) 答えらしきものは大きな宇宙を取り扱う物理ではなく、極小の世界を司る原子物理学の中にあるようでした。ラザフォードが発見した原子核の存在。この原子核の分裂が発生する大きなエネルギー(ここでもアインシュタインの特殊相対性理論の静止質量とエネルギーを結びつける有名な式e=mc2が根拠)、さらに核融合のプロセスの研究が水素からヘリウムという生成過程を生む事等。その条件が星の成長に関わっている事等。水素からヘリウムへの遷移は核融合のメカニズムで説明ができました。


元素の存在比 (左)対数グラフ、(右)リニアグラフ。
右のグラフでは水素とヘリウムがほとんどを占めている事がよくわかります。
かれらは中性子の不安定さに注目し3年がかりで計算を行い、水素原子10個でヘリウム原子1個が生成できる等、厳密な物理で説明できる事が分かってきました。静的な宇宙論ではヘリウムの生成量がここで言うほどの量ができなかったので、膨張論の生成モデルは大きな説得性がある事になりました。しかしそれ以上の重い元素はこの理屈ではうまく生成されません。ただヘリウムまでの話で99.9%の存在が説明できるので重い粒子の件は少し棚上げにしてガモフたちはこの成果を1948年に発表しました。この論文がガモフのユーモアが出ているといわれるアルファー、ベータ、ガモフを著者とする論文(αβγと呼ぶ)です。
原子の融合メカニズム、とその限界
水素:陽子が1個 = 1核子
重水素:陽子1個、中性子1個 = 2核子
三重水素:陽子1個 中性子2個 = 3核子
ヘリウム: 陽子2個 中性子2個 = 4核子
しかし5核子は安定せず生成しないという問題があり、これ以降重い核子ができない!!
話は次の決め手となる宇宙背景輻射のテーマに移っていきます。その後アルファーはロバート・ハーマン(1914-1997)と二人で宇宙の始まりの状態はどのような状態であったかを考えました。
1) 核融合を起こす高温であったものが膨張によって冷えていくと最初はあまりにも高温のために原子核と電子がバラバラの状態であった(プラズマ状態)であった。
2) 膨張で温度が下がった事で原子核と電子の結合が始まっただろう。水素とヘリウムでは3000Kぐらいで結合が始まる。

サハの電離公式と呼ばれるものです。元素の電離度をあらわしたもので、それは温度やイオン化エネルギーに関係するという式です。水素が電離状態が3000Kぐらいから発生する事から逆に3000K以下になると中性原子になり、今までプラズマに閉じ込められていた光子が解放される事が分かるそうです。
3) プラズマの状態では電子が光と反応して光がプラズマの中に閉じ込められていたものが、原子の生成によって電子が原子核に結合されて光が自由になったと推察される。---これを宇宙の晴れ上がりという。それは宇宙が作られてから30万年後になると推察しました。このときの光の波長は3000Kから千分の一ミリメートル=1ミクロン。
4) そこで解き放たれた光はその後原子になった(電気的に中性)ので光子は拘束される事無く宇宙空間をさまようであろう。そして今も存在している。
先に出たαβγ論文は存在比に既知のデータを念頭に置きその生成を論じたのではないかという反論が会りました。今回の論文ではいまも宇宙創成から30万年経ったときに解き放された光が宇宙に存在しているという仮説を提唱しているわけで、もしこれが見つかればこの膨張理論の正当性が実証できるのです。論文としてはこちらの方が価値が高いといえます。
残念ながらこの予言はしばらくの間眠ってしまうことになります。誰もそのような残留輻射を観測する人が出てこなく、いまだにヘリウム以上の重い元素の生成を説明できない、ハッブルの赤色遷移速度から算出される宇宙の寿命が星よりも短いという三重苦になってしまったからです。ガモフ、アルファー、ハーマンはそれぞれ別の道に進み、残留輻射の話はしばし忘れられるようになりました。1964年に起こされるまで。
膨張論の問題点のまとめ:
問題1:ハッブルの観測では宇宙の年齢は20億年、地質学の研究で地球の岩石の年齢は34億年前に形成されたものがある。→ 定常宇宙ではこのようなことは起こらない。
問題2:膨張説ではヘリウムより重い元素を生成する事が難しい。→ 定常宇宙ではあまり矛盾無く現在の元素存在比をうけいれられる。
問題3:宇宙背景輻射があるかどうかは判明していない。→ 見つかっていないから根拠にならない。
静的宇宙と膨張宇宙の論争:
ふたたび静的宇宙論が台頭してきました。その中心人物がフレッド・ホイル(SF作家としても知られている。1915-2001)です。興味深い彼の役割はイギリスのBBC放送で皮肉にも「やつらは宇宙が大きな爆発(big bang)で始まったと言っている」と膨張理論を批判した際に生まれたビッグバンという言葉(少し蔑みが混じった言葉のようですね)。この発言を聞いたガモフが面白がって使ったことから広く使われるようになった。語呂合わせがよかったのかもしれません。いま誰もが知っているビッグバンという呼び方はその強烈な批判者が作り出した言葉なのです。
その後の展開:しばらくして...
ビッグバンの問題点は徐々に解明されていきました。
1) 宇宙の年齢が星の年齢よりも短い:星の明るさによって距離を測っていたが、一部に電離水素領域(H-II領域)というものがあって星より数段明るい、従って星よりも実際は遠い所にいる。すなわち宇宙の年齢はもっと大きい。最終的には100から200億年程度とされた。これで星の年齢との矛盾がなくなった。
2) 元素存在度問題の解はなんと批判者の最右翼であった定常宇宙の守護神フレッド・ホイルによってもたらされました。敵に塩を送ったということではなくて、彼の定常宇宙論もこの問題を抱えていたからでした。その答えは星の一生に隠されていました。水素の核融合が終わると星の温度が下がり、星の重力で中心にむかって収縮する。その結果中心が高温になり更に重い元素の核融合が始まる、それも一時的で燃焼が終わると更に収縮が再開され、温度が上がる、次の重い元素が融合あい……それが逐次つづいて重い元素が出来上がる。星が爆発してその一生が終わると重い元素は放出され新しい星の核になりまた融合が始まる。そしていろいろな元素が生成される。しかし一つだけ、ただ彼の考え方でも問題はこの過程理論では炭素が作れない!!ということでした。おおきなデッドエンドに突き当たったのです。
しかしホイルはへこたれず次のように考えました。現実に炭素は私の体を作っているから絶対に存在する。この前提でホイルは考え抜き炭素生成の可能性のある融合状態を持った炭素の励起状態を予測した。サバティカルでカルフォルニア工科大学を訪問したとき、実験物理学者ウイリアム・ファウラー(1991-1995)にそのような励起状態(標準炭素の7.65MeVだけエネルギーが高い状態のもの)の炭素を探してくれと懇願しました。ファウラーははじめ冗談かと取り合わなかったのですが、ホイルの熱意に負けて探し出すと本当にそれが見つかったのです。まったく頭の中で考えたことが実際に存在したという前代未聞の発見があったのです。ホイルもこのビッグバン劇場では単なる敵役ではなくて真の主役の一人だったのですね。これはビッグバン理論に皮肉にもより有利に働きました。ホイルという人の役割はなかなか面白いですね。そしてこの元素存在比問題も解決しました。その後ファウラーはこの理論を更に発展させ全ての元素ウランまで作れる事を示し後にノーベル賞を受賞しています。炭素の生成はB2FH論文と呼ばれるものに収録されてるようですが、共著者であったホイルはノーベル賞を逃しました。


フレッドホイル(左)とファウラー(右)
炭素の生成(核融合)


この反応は約1億度の温度を持ったエネルギーが必要で宇宙空間ではなくて恒星の中でヘリウムが存在する状況で発生するとの事。3個のアルファー粒子が反応するので、トリプルアルファー反応と呼ばれています。
3) 宇宙背景輻射の発見には少し時間がかかりました。電波を測定して宇宙の状況を知るという事がいつ認識されたのか?1931年、電波を取り扱うAT&Tのベル研の無線技術者カール・ジャンスキー(1905-1950)が手製のアンテナを使って妨害電波を観測する事に専念している最中に偶然天の川から飛んでくる電波雑音に出くわしたのです。AT&Tはそのころ大西洋通信を行っておりその雑音の研究に余念がなかったのでした。その結果はその時点ではとくに注目をされなかったのですが23時間56分(地球の公転を考慮した天球に対して地球外回転する時間)の周期で観測されてその信号が初めて天空から発生したものと分かった訳です。これは人類が初めて宇宙から到達した電波を観測した出来事でした。この後電波天文学という分野が開拓されていきました。


ジャンスキーのアンテナ(レプリカ) カールジャンスキー
その系譜をたどって1964年、二人の学者、ペンジアス(1933-)とウイルソン(1936-)によって注意深く宇宙に存在していた背景輻射が観測されたのでした。これは宇宙から到来する微小電波をそれよりも大きなレベルで周りにある人工信号と区別して発見するということで雑音の処理などに相当骨の折れる仕事をしたそうです。ほとんど他の人なら諦めるところを辛抱強く観測した結果、波長は約1ミリの微小信号を見つけることができたのです。宇宙の晴れ上がりの結果3000Kで放出された光の波長が1000倍になって発見されましたその分膨張で宇宙が冷えたとも考えられます。アルファー達が予測したのが1948年。そして実際にその存在が発見されたのが、1964年でした。ようやくこの発見でビッグバン説が正当であると認められはじめたのです。


ペンジアスとウイルソン
4) もう一つ。宇宙のでき方についての説明。望遠鏡で観測すると分かるように宇宙には銀河系等の星団がある程度疎密に分布されているように見えますが、ビッグバン論ではビッグバンの後どのような構造を作ってきたかを説明できなければなりません。静的あるいは定常宇宙ではもともとそのようなものであると言ってしまいます。
このゆらぎを探るため天文学者はバルーンに輻射計をつけて宇宙から降り注ぐ輻射光(電波)の密度分布を測定して宇宙の成り立ちを捕まえようとしました。飛行機にも乗せて観測しましたが、そのようなゆらぎを測定する事ができませんでした。彼らはもっと感度のいい状況でそのゆらぎを測らなければならないと考えてスペースシャトルに輻射系を乗せる事にしました。しかし例のチャレンジャー号の事故でその計画も頓挫してしまい、最終的に破棄寸前の旧式のデルタロケットに輻射系を搭載させることができました。これも担当した人たちが相当頑張って話をまとめたそうです。人工衛星が軌道に乗ってから観測を始め慎重に全天空をカバーして分析するまで数年の時間をつかってようやく背景輻射のゆらぎを測定する事ができました。これによってビッグバン説は天文学者の間で認知されたのでした。最新の衛星はWMAPと呼ばれていて、7年間のデータが開示されています。上記の宇宙の年齢等はこの衛星の観測結果を基にして算出されたものです。またこの稿では述べていない、DARK MATTERやDARK ENERGYなどの存在も観測結果と最新理論から分かってきつつあります。
現在NASAが行った最新の衛星による観測では輻射から分かる背景輻射温度は2.7Kで宇宙の年齢は137億年になっています。
またゆらぎについてもはっきりと観測されており、30万年前から今までどのような変遷がなされたのかコンピュータシミュレーション等で現実によく合致する結果を得られています。ここでNASAがまとめたデータ類を示します。(NASAのデータベース)
宇宙背景輻射(Cosmic Background Emission)

プランクの式を思い出してください。光(この場合は電磁波)の強度スペクトラムから温度Tがわかります。
CBEの全天観測データ、揺らぎ (NASA WMAP 7Years summaryから)

ビッグバン後の宇宙膨張のイメージ図

上記のデータを収集したNASAの衛星WMAP(Wilkinson Microwave Anisotropy Probe)

この物語で驚くべき事はプランクの輻射論が考えだされたときから現在までたかだか一世紀ぐらいの時間で宇宙の成り立ちの全容をほぼ理解する事になってきたのですが、その対象が137億年にも及ぶ年齢を持ったものという事は大きな驚きです。まして時間にビッグバンという始点がある等身寺かな常識では考えられない構造を持ったものであると!!この事実を知るために人々はおおきな望みをもちそれは時空を超えて飛躍していったということでしょうか。夢と、工夫と、執念などの苦労の結晶であると思いました。
最後にこの物語で活躍したフリードマン、ルメートル、ハッブル、ガモフ、アルファー、ハーマン、ホイルはノーベル賞をもらっていません。ホイルの案を実験で確認したファウラーやこれも実験で背景輻射を発見したペンジアスとウイルソンには物理学賞がおくられました。この辺の評価の違いは何なのか?またNASAでは無名のたくさんの人が地道にデータを解析して偉大な結果を出していることを報告しておきましょう。その成果は過去の栄光にも劣らない素晴らしいものです。
今日現在も新しい宇宙論と新発見が続いています。いまのところビッグバン宇宙論は支持をされていますが、こののちそれでは説明できない事柄等が発見される可能性はゼロではないと考えられます。また人類の限りの無い探訪が情熱を持った人々によって行われていくのでしょう。
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