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節分:鬼は外福は内

今日は節分。ちょっと知ったかぶり豆知識を披露しますと、節分の歴史はかなり古く平安時代からの風習であるような。宮中での年中行事で季節の代わりの邪気を追い出す悪霊払いだと言います。いよいよ春が来るという節目の儀式でもあるようですね。『鬼外福内』を唱えたのは1447年頃だと伝えられています。

節分は鬼の厄日ですね。今年はこんなに寒いのに外に追い出されてしまうのも気の毒な気がしますが、頑張って家の邪気を持っていっていただきましょう。

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福豆も祀って家の鬼のお面も出動準備完了です。


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東洋文庫ミュージアムを訪ねて

東洋学の研究図書館の東洋文庫が10月20日にミュージアムをオープンさせたので先週訪問してきました。東洋文庫の創始者は三菱財閥の岩崎久彌。普段は研究者に使われている東洋の貴重な書籍などを一般の人にもみじかなものとして親しんでもらう意図でミュージアムは発足したそうです。ここは岩崎文庫モリソン文庫など国宝級の書籍も含めて95万冊の蔵書を持っています。URL → 東洋文庫ホームページ

このミュージアムはフラッシュを使わなければほとんどの場所で撮影可能です。日本では珍しいのではないかと思います。イギリスでは大英博物館やナショナルギャラリーなども写真撮影可能ですが。

さてモリソン書庫の書棚の写真。天井まで本がぎっしり収納されていますね。1917年に北京駐在のオーストラリア人モリソン博士から東アジア関する欧文の書籍・絵画・冊子等約2万4千点をまとめて購入したコレクションがここに展示している書棚だそうです。
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ミュージアム内の風景の一部。隣接するレストランから覗いたシーボルト庭園。シーボルトゆかりの植物が植えられています。シーボルトは『日本植物誌』で有名ですが、愛妾のお滝さんの名前にちなんで紫陽花の一種の学名にオタクサ(Hydrangea otaksa Siebold et Zuccarini)という名前をつけたというロマンスな逸話が伝わっていますね。 右側の写真はミュージアムからレストランへの回廊です。アジア各国の名言が当地の言語で表されています。
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このレストランは小岩井農場が運営しているそうです。岩手の地に明治24年(1891年)開設された農場で共同創始者である小野義眞(日本鉄道会社副社長)、岩崎彌之助(三菱社社長) 、井上勝(鉄道庁長官)の三名の頭文字をとって「小岩井」と命名されたそうです。東洋文庫創設の岩崎久彌は小岩井農場が場主となったそうです。
そのレストラン限定ランチの『マリーアントワネットのお重』右側写真。10食限定だったのですが運良くいただけました。
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オリエントホールに展示されている蔵書の一部です。
古代インドの原点とよばれている二つの叙事詩、その一つが下の写真の『ラーマヤーナ』
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もう一つの『マハーバラタ』
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大英帝国の哲学者にして経済学者のアダムスミスが著した国富論の一部。有名な見えざる手(.. Led by an Invisible Hnad...)と書かれた部分です。
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新井白石のノート。著述をするための下書きとも言うべきメモで、いろいろな事を書き留めていることが分かります。
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最後の国宝の間では、マルコポーロの『東方見聞録』のいろいろな版による本が展示されています。その反対側に今回期間限定の展示品があります。現在『史記』の『夏本紀第二』が公開されていました。史記は本紀、世家、表、書、列伝の五部構成になっており、とくに読まれるのは個人の生き様を述べている列伝の部分です。本紀は皇帝の系譜にしたがった皇帝の歴史で今回の展示物は夏皇室の歴史を語っています。三皇本紀、堯舜の時代を含む五帝本紀に次ぐ第3巻目になります。ただし三皇本紀には番号がないので、この夏本紀が第二になります。夏の後は殷本紀、周本紀、秦本紀と続いていきます。

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禹(う)は治水や人民の政を特を持って司り皇帝舜の信頼を受け舜の崩御後夏皇帝として任命されていく過程を述べています。近代的な中国史では夏皇室は未だ認知された皇国ではなく伝説の域を出ませんが堯舜の時代を継ぐ時代としての位置付けになっています。

史記については少し思い入れがあります。それはまた別途記事にしたいと思っています。

今回は日常からはなれて遥か昔の歴史で活躍した人々がみじかに感じられる空間で時間を過ごすことができました。


東京スカイツリー:天空に伸びる塔

空にそびえる塔について少し話をしましょう。

昔から人間は高いものを造りたいという本能的なあこがれをもっていたのでしょうね。天空をめざして突き刺すような建物は人類のチャレンジを示すものであったようです。天の国に近づきたいと考えたのでしょうか?一方、神に近づこうとした人間の限界を示唆しているバベルの塔の話もあります。天に近づきたい願望と恐れが微妙に絡み合った心境をあらわしているのでしょうか。

バベルの塔
Pieter_Bruegel_バベルの塔

仏教の世界では、故人を祀る卒塔婆をシンボル化した五重塔や三重塔、なかには十三重塔(藤原鎌足を祀った談山神社)などが存在します。世界を見ればモスクなど。鉄骨などではエッフェル塔、ドバイの超高層ビル。教会のゴチック建設:ケルン大聖堂、ウエストミンスター寺院、サクラダファミリア等々。

計画中のナッキールタワー(完成予想図) 竣工の暁には1,400mにもなります。
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さて我が日本にも東京タワー以来の世界一の自立鉄塔が完成し来春開業しますね。東京スカイツリーの高さは武蔵国にちなんで634m。地震災害の多い日本の建築としていにしえの建築法に学び、五重塔の心柱構造を取り入れているそうです。下の写真は我が家から眺めた東京スカイツリーです。てっぺんのアンテナが五重塔の相輪の様に見えますね。
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東京の古い塔として有名な椿山荘にある三重塔。広島県加茂郡入野の山上伽藍、篁山 竹林寺(たかむらさんちくりんじ)に在ったものを移築したもの。室町時代末期の作と推定されています。 近代建築物の高さにはかないませんが、その昔故人を弔うための塔を築いたのですね。これも魂が天に登ると思われていたからでしょうか。
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塔についてざっくりとさわりを述べました。人間の塔にたいする関わり方は宗教の違いを問わないようです。いまだバベルの塔のような限界はこないのでしょうか?




日本最古の神社建築:宇治上神社

6-7月にかけて京都方面を訪ねる機会がありました。色々紹介して参りましたが、今回はその最後の章です。訪れた場所は宇治。ここは平等院鳳凰堂が有名ですが、今回はそちらではなくて宇治川の対岸に宇治上神社をおとずれました。近くに源氏物語の宇治十帖にちなんだ「源氏物語ミュージアム」が造られました。さてこの宇治上神社、下記の写真でみるように山肌の近くに建てられていてうっそうと茂った森の中に鎮座しています。
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小さい橋を渡ってた門の先に拝殿が見えてきます。
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こちらが拝殿です。朝早く参拝したので、誰もいなく静寂そのものでした。この拝殿は鎌倉時代に建造されたもので、神殿造りの様式をしています。
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その後ろに本殿がありますが、外からはその本殿を囲った覆屋のみが見えます。これは平安後期の建物で神社建築としては日本最古のものと言われています。
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本殿覆屋の軒先。かなり古そうですね。雨が降っていました。
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拝殿と本殿覆屋を横から見た風景。緑の中にとけ込んでいきます。桧皮葺きの屋根に苔が生えて長年の歴史を感じさせます。
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本殿、拝殿とも国宝で宇治上神社そのものは世界遺産になっています。
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訪れたときは梅雨時でしたが静かなひとときを過ごすことができました。


古寺巡礼:奈良中宮寺

法隆寺東院の奥に小さな庵のようなお寺があります。それが中宮寺です。聖徳太子が母穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)のために建立した最古の尼寺と言われています。大使の住居の斑鳩宮を中央にして西に法隆寺、東に中宮寺を建てられました。その中宮寺は今法隆寺東院のお隣に移っています。旧中宮寺の形式は四天王寺や若草伽藍と同じく塔と金堂を建てに配したものであったそうです。

和辻哲郎、古寺巡礼から。この中宮寺は最後の章でここに安置されている菩薩様の様子が描かれています。
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本堂は入り口からすぐですが、その途中のお庭が綺麗に手入れされていました。
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本堂は比較的新しい鉄筋コンクリート造りの建物でした。高松宮妃殿下の発願によって1969(昭和43)に建立されました。
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ここでなによりも楽しみなのは半跏思惟像である弥勒菩薩様に会える事ですね。約1400年の年を越えて人々に愛されてきた菩薩様です。弥勒菩薩は56億年後に人々を救う仏様であるといわれています。お姿は如何に人々を救うかを思われている姿だそうです。この像は日本と韓国、朝鮮半島によく見られる仏様だそうですね。
いつまでも座って対面していたい雰囲気を持っています。本堂の係の女性が参拝客が本堂に上がるタイミングでテープで案内を流しています。法隆寺の雰囲気とは違ってのどかな風が吹いているようでした。

本堂内は撮影禁止ですが、遠くからお姿の写真を撮りました。
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弥勒菩薩 (中宮寺図録から転載)

和辻哲郎はこの像を女性とみたててその感想を述べています。「懐かしい我が聖女は六畳間の中央に腰掛けをおいて静かに腰掛けている。(中略) 彼女は神々しい程に優しい『たましいのほほえみ』をうかべていた。それはもう彫刻や推古仏でもなかった。(中略) 一つの生きた、尊い、地から強い、慈愛そのものの姿であった。」と書き留めています。和辻程の表現力は持ち合わせていない私ですが、全く彼の感じたお姿が目の前で再現されているのがわかりました。その意味で和辻哲郎という哲学者と同じような思いを共有できた事は喜ばしい限りです。

本堂は鉄筋コンクリート製で新しい建物ですが、その中に弥勒菩薩が座居されています。本堂にはその他に天寿国曼荼羅繍帳のレプリカが展示されています。これは推古天皇の御代622年の作品で聖徳太子の妃である橘大郎女が命じて造らせた刺繍であると中宮寺の案内所に述べられています。
p03.jpg (中宮寺ホームページから転載)


本堂の前の庭にあじさいが....
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ちょっと急ぎ足で回った古寺巡礼でしたが、飛鳥白鳳時代にタイムスリップしたような時間を過ごしました。これからも悠久のときを刻みながら菩薩様は56億年後のお目覚めを目指されるのでしょうか。